少なくとも阿波踊りは偏見に満ちたタームなんだな。

http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20090718/p1

に曰く、あえてタイトルに「馬鹿に付ける薬はないと申しますが」と言いつつ、馬鹿の等号として「阿波踊り」と言っています。しかも「まぁ、なんというか」というのがid:NOV1975さんにとっては、いちおう前おいているらしい。

そもそも論として、どういうことで「馬鹿」について書いているか知らないけれど、その情報も示せないで、少なくともBlogにそのような記事は出していない。そして、少なくとも「阿波踊り」をしている人は踊るときには格言として「踊る阿呆に見る阿呆、それなきゃ踊らなきゃ損損」っていう意味合いだからだと思うけれど、そういう認識すら「阿波踊り」している人たちにさらに失礼だろう。

少なくとも「踊る阿呆」になるために、踊り手達がどんだけ理性で考えて考え抜いて、その上で創意工夫しつつ、そのなかで「オリジナル」と呼べるようなものを作ろうとしているのが、まったくわからないらしい。


少なくともこういう「阿波踊り」(徳島のものなり、高円寺のものなり、そしてさまざまに伝播していくものについても等しく)は、なんら藝能としても、民俗としても、身体表象文化としても価値がないということだと言明されていることはわかりました。


なんかid:NOV1975さんの日記には、「承前」として上記のエントリーについて触れておきたいこととしてあげられていますが、エントリーは別になっているし、そもそも関連があるならその旨も明記してから書くべきであり、そもそもそのようなことがないので、「馬鹿に付ける薬はないと申しますが」(云々)「阿波踊りだよね」で通します。
主語がなにかわかりませんがね。


基本的な感想。メモ書きなら自分宛のケータイメールで自分宛に書けばいいんで、Blogに書くのは必要なくない?
なんか、何でもかんでもBlogに書いておけばオッケーってスタンスはどうかと思う。自分用のメモでも主語述語ぐらい、そして誰に読まれても良いかぐらい考えて書けば言いと思う。
そういうのができない文章が、余計な混乱を生み出すのだ。


ま、id:NOV1975さんは、阿波踊りの「男踊り」と「女踊り」の違いを習得するなり、打楽器の位置づけぐらいを学んでから「阿波踊り」ってタームを使えばいいと思うよ。

追記;
元のリンク先であれこれコメントが寄せられていた。
ワタシの質問の仕方がうまく届かず、質問に答えられていないようだった。別の方からはアドバイスなり、参考文献をご紹介頂いた。感謝致します。
あと、いろいろ考えた結果やはり
>「踊る阿呆に見る阿呆、それなきゃ踊らなきゃ損損」
という言葉は現在の祝祭なり祭礼、もしくは類似するイヴェントにおいて、パフォーマーたち、主催者達、ボランティア・スタッフたちの目線からすると、単純に「踊らなきゃ損損」という感覚では少なくともない。もちろん「踊ること」、パフォーマンスすることのみしか集中できない人たちもいるのは事実だけど。
むしろ彼ら・彼女らの言葉からは「踊っているのか、踊らされているのか」をすごく意識している。少なくともワタシが関わっているたちのなかではですけれど。とくに彼ら彼女らは、「踊っていない」時に、なにをするのかをものすごく意識している。
そういう意識のある人たちに接していると、少なくとも「馬鹿」にも「阿呆」にもなっていないし、すごく楽しみつつ、別のことも意識しているんだろうし、そうでなければならないように思う。