2つの素朴な疑問:チョコと爪

今日はホワイトデーです。

いわゆる「白い日」です。
3月に雪が降っている地域はおそらく日本全国探してもないと思いますし、この時期は黄砂に花粉が飛びまくってので、「ホワイト」というよりは「イエロー」ではないかと思っていましたが、ティッシュの消費量が多くなっていると連想すれば、ティッシュの白だったように思うのですが。
それにしても「ホワイトデー」はなんで「白」なんだろう?

一応「ホワイトデー」は、もともと「キャンディデー」だったと聴いたことがあります。
いちおう、メリーズが仕掛けた「バレンタインデー」のチョコレートに対抗するために、飴業者がキャンディデーを仕掛けたのが始まりです。
と思って、調べてみたら、ホワイトデー公式サイトっていうサイトが見つかりました。
see : http://www.candy.or.jp/whiteday/index.html

ホワイトデーは「国民的行事」だったのか。
ワタシはこの時期に飴を買ったことがありませんし、2月の節分に恵方巻を買って食べたこともありません。
『創られた伝統』であったとしても、それを伝統だと思わないと、なんかよその文化や伝統に見えてしまうのはどーなんだろう。

と、おもっていたところで、すでに昨日ですが、スーパーでバイトしていたら、ある常連さん(女性)が、板チョコレートを数枚買っていったときにちょっとだけお話ししたら、どうも彼女はバレンタインデーのお返しにという理由でチョコレートを買っていた。

そこで素朴な疑問1:ホワイトデーっていうのは、バレンタインデーという時に女性が男性に愛の告白をするためにチョコレートを贈るって話しがあって、そのお返しにホワイトデーはチョコレートではなく、飴を贈るってことになる。
そうすると、ホワイトデーは片思いの男性が、意中の女性に飴を贈ることはそもそもあったんだろうか?
あとこの常連さんの女性のように、ともチョコ(友人関係を確認するために贈与されるチョコレート)や、最近知った「かも」チョコ(好きかもしれない相手にその様子を探るために贈られるチョコレート)でも、そのお返しに飴を贈るのだろうか?
そもそも義理チョコだったら3倍返しってフレーズはちょっと前に流行っていたけれど。そもそもバレンタインデーのチョコレートが、愛の告白という要素が脱色されていくなかで、チョコレートを媒介にした「愛の告白」という重さがなくなってあとに、チョコレートを贈るという行為がもしかしたら、「愛」ではなく「人間関係」を繋ぐ手段だったのかな?
そうすると、ホワイトデーのお返しって、単に『贈与』の問題なんだろうか?
って難しいことじゃなくて、素朴な疑問は、女性同士のバレンタインデーのチョコでも、お返しするものなの?

§

話はまったく変わりますが。
水曜の深夜に、馴染みの飲み屋で呑んでいました。
呑んでいると言うよりも、何人かの女性たちとお喋りしていたんですが。そういうお店です。
その店ではだいぶ前は映画『BABEL』の話をしていたのですが、先週からなぜか『ラブホテル』の話をしています。って、ワタシが先週表のBlogに書いたように、金益見著『ラブホテル進化論』を読んで、紹介したこともあります。
ちなみにこの本は、色物っぽいけれど、非常に近現代の日本の社会を描いた本だと思っています。
さてその延長で、その店のママからある疑問がありました。
「ある知り合いの異性に、恋人がいるかどうかはどうやったらわかるの?」って聴かれました。
その会話のなかで、「男性が、恋人がいる場合、その人の爪を見れば、恋人がいるかいないかわかる」
っていうことだった。つまりというか、すごい下世話な話になりますが、男性がセックスをする前の作法というかマナーとして、女性の身体を傷つけないために爪を切るのが習慣化されているという理由です。
では、「女性に恋人がいるかいないか、それを見極めるための指標って何だろうね?」って疑問が沸きました。
うーん、そのママはお客様たちから「彼氏いないだろう。やっぱりなぁ」と言われ続けて、なんでそう思うの?って、鈍感で小僧なワタシに聴いてきたんだけど。そんなことを上手く答えられるわけもなかったんですが。
素朴な疑問2:男性は、知り合いの女性に恋人がいるかどうかをどこで見分けているのだろうか?


恋愛経験の豊富な識者、是非コメント頂ければと思います。
よろしくお願い致しますm(__)m
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