浜崎あゆみに関する素朴な疑問

コンビニではなく、コンビニエンスなミニスーパーでバイトを始めてもうすぐ9ヶ月になる。
さんざんあれこれ書いたのだが、よく言及するのが、店内で開店から閉店まで流されているUSENのA-26についてだ。A-26チャンネルは「USEN総合チャート J-POP」というので、USEN独自のchart上位20曲が2時間ローテーションで流れる。スタート時刻は土曜日の午前0時から。

ちなみに今週のランキングは以下の通り;

No.01 SAKURA〜花霞〜 中島美嘉 ASR
No.02 Laugh away YUI SR
No.03 NEW LOOK 安室奈美恵 AVT
No.04 Mirrorcle World 浜崎あゆみ AVT
No.05 旅立ち GReeeeN UMK
No.06 誰よりキミが好きだから 関ジャニ∞(エイト) IMP
No.07 愛は暗闇の中で ZARD BG
No.08 銀河鉄道999 EXILE feat. VERBAL(m-flo) RZN
No.09 スカシカシパンすこし変? 中川翔子 SR
No.10 CHANGE 福原美穂 SR
No.11 オレじゃなきゃ、キミじゃなきゃ 20th Century AVT
No.12 ありがとう 大橋卓弥 BMG
No.13 春 中孝介 ES
No.14 Garden of Love feat. 青山テルマ MAKAI BMG
No.15 Sunny Day 藤木一恵 DEF
No.16 遥花〜はるか〜 melody. TF
No.17 旅立ち FUNKY MONKEY BABYS DRM
No.18 愛をこめて花束を Superfly WMJ
No.19 WE! J Soul Brothers RZN
No.20 フルサト〜心を込めてありがとう〜 ONE☆DRAFT ASR
なんで、先にちょっこと書いた、安室奈美恵,2008,New Look, AVT.はかれこれ5週間くらい聴いている=聴かされている。
ま、好きな曲なんで、PVも浮かんでくるぐらいだし、構わないんだけど。
60s 70s 80s(DVD付)

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そんな強制的に最近のヒットチャート(オリコンではない)ものを聴かされるとさすがに、ワタシだけでなく他のバイトのメンバーも飽きてくるわけです。

最近、個人的に何かなぁと思うのは同じタイトルの曲が別のアーティストで歌われることだったりします。
たとえば、先週&今週だと、GReeeeNFUNKY MONKEY BABYSが同じ『旅立ち』というタイトルの曲を歌っています。

旅立ち

旅立ち

旅立ち

旅立ち

なんか、卒業シーズンに託けているとバイト先の同僚はいっていましたが、ワタシも同感。なんか売れるためなら、季節感もノスタルジアも商売のネタにするんですねぐらいにしか思えない。
やっぱり何だかんだ、手法を変えたとしても「昭和」的な(?)、歌謡曲や演歌と同じだと思ってしまいます。
いくら何でも、こんなに安っぽく卒業ソングを再生産しても、「旅立ちの日に」は敵わないわけで。とりあえず、3月や4月の時期に託けなくても、歌いたい曲や歌詞を模索すべきなのかと。それがもしかしたら一回りして同じようになったとしても構わないんだが。そーいう回路はないみたいと思ったりします。

新盤 旅立ちの日に ~卒業式で歌われる子どものうた~

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同じことですが、以前なら『Home』という曲を清水翔太木山裕策という二人のアーティストが歌っているわけです。

HOME

HOME

home

home

しかも、どっちも「帰りたいけれど、お家に帰れない」症候群ちっくな歌詞で、「あぁ〜なんかなぁ」と思ったりして、ガッカリするわけです(別に貶しているわけではありません、念のため)。いちおう「家族愛」をベースにしているんだけど、結局のところ、家族でも相手は「他者」であることをベースにしていると思われる。そこでは「家族愛」があることが前提で、家族成員はすべて受け入れてくれるって理想郷なモノが担保されている感じがありありで、そんな感じなの?ってある意味「家族」というものが「ユートピア」として想定されていて、全肯定しちゃうよねという感じが、売れている理由なのかなぁと思ったりします。
全然文献は読めていないのに、とりあえずキーワード検索したものを挙げておく。小説や映画はいくつか観たけれど(未見もアリます)。
親密性の社会学―縮小する家族のゆくえ (SEKAISHISO SEMINAR)

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空中庭園

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誰も知らない [DVD]

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ちなみに中野の某スナックで午前3時にサラリーマンが木山裕策の曲を歌おうとしたとき、こんな時間まで呑んで、カラオケしているのと歌詞の内容が齟齬来さないと思っていましたが。ま、「それはそれでいいんじゃないかなぁ」と思い直しますた。家族というあり方は、NHKの朝ドラ『瞳』を引くまでもなく多様なんでいいんです。
see : 連続テレビ小説『瞳』official website
それにしてもユートピアとしての「家族」って、恋愛ソングよりも売れているのはどうしてなのかなぁと思ったりもします。

ちなみに最近の調査(具体的な名前は忘れた、TBS Radioの『Life』で『親子関係』の回で家族時間(だったかな?)の調査について言及している回を想定しているんだけど)では、一番大切なものは何か?と問われて、第一位が『家族」であるが、生活時間のなかで家族と一緒にいる時間はどんどん減っているという話だったと記憶している。
cf.TBS 文化系トークラジオ Life 2008/01/27 「親子関係」アーカイブ
もちろん、清水翔太の場合は、彼は家族という枠から自主的にでてあとに、そこから「家族」というモノを追慕する言葉を書く。木山裕策の場合は、自身が「親」になったことを元にして、そこから「家族」を構築する心情を歌っているんだけど。おそらく絶対的に「ユートピア」的な想定があり、そこに絶対的な『信頼』が寄せられていて、それは揺るぎないということに多くの人がSympathyを抱くならば、それこそが「ユートピア」なものでしかないように思えてならないんだよなぁとも思いますが。
それは今後、J-POPや歌謡曲の変遷史を纏められる人のお仕事として思うんだけど。なんか先の『旅立ち』にも繋がるけれど、どこかアウラ的な「切断」(卒業や離任などの別れ)というものが、絶対的な関係性の「善」なるモノとして想定し、その関係性はユートピア的なものであったとして、そこから「旅立つ」というものを想定していない?そして「旅立つ」先であり、帰るべき場所としての「Home」=「家庭」なり「家族」というのがさらに前提となっている感じがします。

と書いたところで、話はタイトルに戻る。
ぐだぐだと長かったですが、浜崎あゆみです。
さて、A-26の最新チャートで4位に『Mirrorcle World』という彼女の曲がエントリーされていますが、その曲を何度か聴くたびに、ふとした疑問が沸いてきます。

Mirrorcle World(DVD付A)

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その疑問とは、簡単なことです。

浜崎あゆみの曲の一人称って、「僕」じゃないの?それ以外あったっけ?

ということです。いくつか彼女の曲を思い出してはいますが、どうも「私」という言葉もないかな。「俺」ということもない気がする。
なのに一貫して「僕」。そして、対になるのは「君」なんですよね。
これをちょっと考えると、作詞者が『浜崎あゆみ』であると想定するならば、彼女は自分自身を少なくとも歌詞の世界においては、一人称は「僕」ということになり、描かれている他者は「君」となる。
ハードロックテイストなモノでも、バラードでも基本的な一人称はおそらく「僕」だと思い出すが、間違っているかな?
では、この歌詞において「僕」ではあっても「ボク」ということにはならない。しかし、彼女は自分自身のことは「あゆ」と自称しているらしい。
そうすると彼女のなかに、一人称におけるギャップというモノが存在しないのだろうか?そう考えたときに連想するのは宝塚の男役であり、美空ひばり的な存在なんだけど。

浜崎あゆみが好きなファンの中で、こういう一人称、さらにはジェンダー的な(ある意味どーでもいい)ことを考えている人はいるのだろうか?
ちなみに、彼女が作詞したとされる歌詞がすべて「男性」によるゴーストライティングということを指摘したのは、バイトの同僚だったりもする。

その辺誰か調べている人いたりするのかな?