スタンスの違いでしかないんだろうなぁ

おそらくそれが埋めがたい差異でもあるんだけど。
ワタシにとって研究対象に「癒し」という言葉は使えない。
そもそも「癒し」という言葉は大嫌いなので、どんな文脈でも使わないし、「癒す」「癒される」関係は、医療関係ぐらいでしかないので。
ノーテンキに「癒されました」って発言する人間が信じられない。
けれど、第一人者の研究者ですら、そーいうことをいうのだから、癒されない人間はそもそも感覚麻痺なんだろうね。

素直に、何に癒されたの?癒す側は労働しているんだろ?その労働を癒す人間が存在しないも限らないなら。
詳しくは永沢光雄の最初の小説を読んでみてからだと思う。

太宰治賞〈2001〉

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そんな視点がない人間に「癒された」と言われるのは気持ち悪い。癒すというのは基本的に、医療的な行為の産物であり、カスタマーが何らかの行為に対して払う勘定ではなく、一方的で、しかも独善的なものの言い方だと思う。
癒されたい側は、基本的に癒す側の労働を知らないし、その事については感じないんだろうな。しかも「癒された」と勝手に思いこむ側が、勝手に「癒す」という物語を想定して、そこに対して「労働」を読み込んでいるのもかなり痛いと思う。

「癒し」とか言う人間は「癒す」側になってから言えばいいと思う。
マッサージ師やエステティシャン、ソープ嬢、ホスト、キャバ嬢、さらには数多ある感情労働者に、さらに義務教育を担当する教員に対してそういうことを言ってみればいいと思う。どう考えても研究対象にflatであることはできないけれど、そこに特定の関係を意図的/無意識的に発生させる言葉としての「癒し」なんか使う人間の気が知れない。
なんか楽天的でいいなぁ。そこまでオバカものになりたいです。ハイ。

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