東京マラソンとボランティア高校生

 昨日は東京マラソン2009が開催されました。今年で3回目ですが、既に参加希望者が多すぎて、ほとんどの希望者が走れなかったとのことをどこかで聴いた。さらに去年は日本テレビ系列のアナウンサーが走って、今年はフジテレビ系列のアナウンサーが走っていたとか。終いには『プロジェクトX』みたいな東京マラソン開催までの経緯についてドラマ仕立ての番組が放送されていたりもしていた。少しだけ視ましたが、東京マラソンプロジェクト担当者が「一人でも多くのランナーを完走させてあげたいから、交通制限時間を7時間にしてくれ」と警視庁担当者と、新宿かどこかの居酒屋で訴えたんだとか。
 あとそのドラマで東京マラソンのモデルが、ニューヨーク・シティ・マラソンだということをしった。

 さて、東京マラソンについては、大都市で行政が仕掛けた大規模都市祝祭的イヴェントですね、ぐらいにしか思っていなかったんですが。
 2年前のエントリーで以下のような記事を書いていたことを、2日前にもらったコメントで思い出す。
 http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50280574.htm
 以下、そのまま貼り付け;

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 久しぶりにnewsにコメント。
最初は宮崎県清武町での養鶏の大量死について書こうかと思ったが、まだ鳥インフルエンザとは断定されていないので、間違ったことは言えないと判断。
とりあえず、鳥インフルエンザ発生かどうか鑑定中の話をネタに日記を書かれている人は、どうも人間が感染するインフルエンザと、鳥インフルエンザをごちゃ混ぜにしているようだ。
「焼酎で消毒すれば」とかいう話もあった。

さて本題。
引用にあたり、数字は半角英数に変更済み。一行開けは削除。
都立高「奉仕」科目に動物園の解説、富士山ごみ拾い…より;

都立高「奉仕」科目に動物園の解説、富士山ごみ拾い…
 東京都の都立高で今春から新設される必修科目の「奉仕」について、全都立高207校(全日・定時・通信制計282課程)の授業計画が11日、まとまった。社会から必要とされる活動体験を通じ、生徒の職業意識を高める狙いで、都教育委員会によると、都道府県単位で奉仕活動を必修化するのは全国で初めて。
 青梅総合(青梅市)の定時制は、栽培した草花をドライフラワーや花かごに加工して福祉施設に贈ったり講習会を開いたりする。前身の一つが農林高で、園芸の授業に力を入れているため。多摩動物公園に隣接する南平(日野市)では、生徒が子供向けに動物の生態などを解説するボランティアに挑戦する。
 上野忍岡(台東区)は下町の土地柄を生かし、高齢者に贈る根付けや祭り用のはちまき、手ぬぐい作りに協力。栃木県足尾市での植林に加わる光丘(練馬区)や、富士山でのごみ拾いをする青山(渋谷区)のように、地域にこだわらない活動をする高校もある。
 一方、忍岡(台東区)や立川(立川市)など5校は、都が大量の運営ボランティアを動員する「東京マラソン」への参加を予定。地元商店街や公園の清掃に充てる高校も多く、カリキュラム作りに苦心している実態もうかがわせている。
(2007年1月12日1時3分 読売新聞)
もちろん、高校の必修科目として「奉仕」が採用されたとしても、それを授業としてやるのはどーなんだろうという反論がでるだろう。
このニュースを引用している方々も、まず第一に「奉仕」という自主的な、あるいは主体的な行動ではなく、授業の1つとして「受動的」に「奉仕」しなければならないという環境をつくったとしても、果たして「奉仕」と言えるかどうか、また「ボランティア(volunteer)」という言葉の趣旨から反するのでは、というものがある。

私もこの記事を読んだときに、「奉仕」という授業を受ける生徒たちは、「必修科目」の1つだから、メンドクサイけれど単位足りないし、卒業できないとやばいよねぇという心境でやらされるのかと思う。
もちろん都内の高校生すべてが、みんな「受動的」で「メンドクサイけれどって」とは思わないけれど。私が高校生だとしたら、言われたことならやるけれど、積極的に授業を履修しようとは思わない。
ついでに言えば、都内から離れて作業する場合(たとえば富士山のゴミ拾いや、動物園での解説など)は、ちょっとした遠足か修学旅行気分かも。行ったことない場所なら、ボランティア活動よりも、課外以外の観光とかが楽しそうってなると思う。

と、生徒側からの視点で書いてみた。だがこの問題は教員側と、ボランティアを要請する側・ボランティアを受ける側というほかの3者の視点を入れないと、達成できないと思う。
第一に、教員側にとって「奉仕」という必修科目は、教員免許で学んだことではないはず。これから教育系の大学で「奉仕」ということを専門に教える大学教員がいるとはとうてい考えられない。
つまり学校という知の体系において「奉仕」というのは、教える側にとってこれまで学んだことのないことをやらせようということになる。
さらにいえば、都内の高校生が富士山のゴミ拾いをしたとすると、その間の移動や宿泊先、さらには地元の関係者への連絡など「奉仕」の時間以外にやるべきことが増えるだけだ。
しかも移動費や宿泊費、また諸経費は誰が負担するのか?
「奉仕」活動である以上、生徒たちが行った活動は金銭に還元されない。「奉仕」活動を実施するために、授業料の中から積み立てなり、授業料上乗せなんてことになりかねないと思うんだけど、どうなんだろう?
ついでに言えば「奉仕」というものをどのように評価するんだろう?ゴミの量や、動物についての深い造詣を蕩々と語れましたってことなのかしら?

第二に、ボランティアを要請する側にとっては、「奉仕」の必修化は何をもたらすんだろう?
もちろんボランティア活動を必要としている人たち、地域、団体は数多くあるだろう。ただそれらが、高校の授業におつきあいするのだろうか。もちろん「地域貢献」や「労働意欲の涵養」「ボランティア精神の育成」なんて美しいお題目が出てくるかもしれないが、それを目的にやってくる学校関係者や生徒はどれくらいいるんだろうか。
それは第三に、ボランティアを受ける側にとっても、ボランティア活動をしている人たちが主体的な意欲に基づくものではなく、あくまでも「やらされている」ということになりかねない。
ただでさえ、ボランティア活動をする側とされる側の関係が、いろいろ問題含みのこの時期に「奉仕」というものを強制させたところで、どの立場から考えても損することはあっても、得することはないように思う。
また「奉仕」という受験に関わらない科目でまた未履修問題なんて出てきたらシャレにならないと思うが、いかがですかね。

最後にこのニュース本文で気になった一言;
「社会から必要とされる活動体験を通じ、生徒の職業意識を高める狙いで」
え?これって職業訓練の一貫なんですか?「奉仕」と「労働」がごちゃごちゃのような気がする。

そういえば、ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』の原著名は”Learning to Labor"だったね。
「職業意識を高めたものは、学校への反抗だ」というのが趣旨だったと思うが、中途半端にしか触れていないから、読まないと。

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)

 (2007.01.12)
 §

 それで実際にボランティア活動に参加することになった高校生から以下のコメントを頂く。

現役の高校生で、2009年東京マラソンにボランティアとして『奉仕』参加する人間です。
百人強の生徒が私の学校からは参加しますが、半分真剣、半分は強制されて単位取るためにという雰囲気です。ただでさえ、参加者最初足らなくて、高校二年生が説き伏せられて五十人近く参加した形なので……
明日のボランティア参加で、色々悪い結果にならないか心配です。去年のボランティア感想の中には、酷い都立高校生の態度がちらほらありましたので。
東京都……高校生とはいえ、自発的に『奉仕』させない限り、いろんな組織に多大なる迷惑と、思わせなくてもよかった悪影響が及ぶので、もう少し時間をかけて必修科目にすべきだったと思わずを得ません。

 まず頂いたコメントの文章の上手さにびっくりした。私が高校生だったとき、こういうきちんとした意見を述べられていたか甚だ疑問。
 そしてすでに東京都内の公立高校ではこういう「奉仕活動」が必修化されているのか。全く知らなかった。それにしても現場で活動するボランティアの実態ってこういうものなのかなぁ。それにいくら「奉仕活動」がカリキュラムの一部であったとしても、休日にそれを名目に集めるのは、問題はないのだろうか。そもそもボランティアが自主性・自発性によって活動するならば、その人がしたい「奉仕」をすればいいだけの話かとも思ったりする。ボランティアもなんか修学旅行みたいにみんなで一緒でするっていうのも、ちょっとどうかと思う。